「裏切らないマイケル・ファン」
そりゃあれだけのキャリアなんだから
常人と同じと言うのムリ!それに
4歳から幼少期・思春期と全てを
奪われたら、やはり子供心を追い求め
たくなるのも必然的。ボクたちは彼が
本当のピーターパンになれることを
その奇跡が叶うことを願うだけです。
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MOVIES
1963
DIANA!
SPECIAL
1971
JACKSONS
VICTORY
TOUR
1982
DUC DANSE
1982
BEAT IT
1982
BAD
JAPAN
TOUR
1987
マイケルと言えば「スリラー」でしょう。
82年の当時をタイムリーに味わえたことを今更ながら幸運に思う。
このアルバムにより、ジャクソンズのマイケルでは無くマイケル・ジャクソン
として世界に認知されスーパースターへと成長を遂げて行く。マイケル当時
24歳。アルバムに参加したポール・マッカトニーは当時40歳。この二人の
組み合わせも歴史の1ページを飾る貴重な作品と言える。
[1]Don't Stop 'Til You Get Enough (2003 Edit) [2] Rock With You
[3] Billie Jean [4] Beat It [5] Thriller (2003 Edit) [6] Human Nature
[7] I Just Can't Stop Loving You [8] Bad [9] The Way You Make Me Feel
[10] Dirty Diana [11] Smooth Criminal [12] Black Or White (Single Edit)
[13] You Are Not Alone (Radio Edit) [14] Earth Song (Radio Edit)
[15] Blood On The Dance Floor [16] You Rock My World (Radio Edit)
[17] Break Of Dawn [18] One More Chance
アフロもバッチリ決まるのだ。 [1978]
1978年に製作されたアルバム「DESTINY」よりNO1ヒットとなった「今夜はブギー
ナイト」のミュージックビデオのワン・シーン。ジャクソンズとして3作目となるこのアル
バムは8曲中7作がジャクソンズ自らの作品。加えて精力的にプロデュースにも参加し
ジャクソンズとしては初のプラチナヒットとなる。またこの年、マイケルはエピックとソロ
契約を結ぶなど、新たな展開を見せる。勢いを付けたジャクソンズは翌79年にはワー
ルドツアーを敢行。その後、行われた全米ツアーでは100会場で200万人を動員し
大成功を遂げる。
マイケル・ダンスと言えばコレ! [1979]
エピックでの初ソロ・アルバムとなったのがこの「OFF THE WALL」。
クインシーがプロデュースに参加したこの作品は2曲の全米No1とグラミー賞最優秀
R&Bシングルなど数々の栄冠に輝き400万枚以上のセールスを記録する。この頃
マイケルはPマッカートニーを度々訪問し作曲を学んでいたと言う。その成果が「ガール
イズ・マイン」の他3曲もの見事なオリジナル曲を完成させなど新たな才能の成長を
遂げている。映像は当時、解散が噂される中行われたジャクソンズ全米ツアーでの
ワンシーン。
歴史を変えた瞬間! [1984]
ジャクソンズ6枚目のアルバム「VICTORY」発売とほぼ同時に行われた「ジャクソンズ
ビクトリー・ツアー」はアルバム「スリラー」の大成功の波にも乗って空前のスケールで
全米21都市を興奮の渦に巻き込んだ。アルバム「スリラー」は8個のグラミーに輝くなど
ギネスヒットを記録する。82年以降マスコミから姿を潜めていたマイケルがその3年間に
受けた全ての中傷を打ち消すかのようにメディアに登場した。PS.「ビリージーン」の
歌詞はマスコミへの反感として作成されたとも言われている。「ウソがいつも真実に
なってしまう。」と言う1節がそれと解釈されているからだ。
当時を回想して見れば・・・ [1985]
時代をリードしていたはずのジャクソンズからソロデビューを果たしたマイケルは
自らの手でそれらを過去のものに変えてしまっていた。それほど彼のサウンドと
ダンスはあまりにも衝撃的だった。見事にビートに乗せ完成させたムーンウォークを
はじめ、シンプルな動きのなかにスケールのある表現は誰もの憧れとなった。
そして「スリラー」の登場!ちよっと余談ですがラブホテルでも「スリラーのビデオ
入荷!」なんてのが宣伝になるぐらいですから。なにせ世界中がマイケル一色に
染まったと言っても過言ではない・・・・そんな凄い時代でした。